災害復旧活動

  1. 初動活動として、現地に入り、状況を確認。必要な支援がなんであるか現地の状況とニーズを掌握。行政機関が壊滅に近い状態で現地の状況把握が困難である中で、行政に実情を伝える。多くの行政関係者から感謝をいただく。
  2. 状況把握の中で、介護分野でのマンパワーが決定的に不足していることを確認したため、介護専門職に現地にボランティアとして入っていただく活動をすすめる。なかでも、大阪の若い女性介護福祉士は勤務施設のご理解をいただき、一か月の休暇を取り、石巻市の避難所で活躍していただく。専門職以外のメンバーも専門職派遣のサポートや介護物資の供給に尽力。
  3. 現地のNPOや福祉事業者様の実情をお聞きし、今、どういう支援施策が必要かニーズを集約し、行政や政治にまとまった声として提言し、必要な施策の実現を要求する。この実現のためにはよりいっそうの団体・個人の意見の集約が必要であることを痛感し、多くの方々への共同のよびかけをすすめる。

内藤 秀夫 今回もたくさんの成果がありました。

1 避難先グループホームさんに東京のNPO旅サポさんから定期的に介護ボランティアさんを入れることになりました。
2 名古屋よりの入浴車の応援を定期的に受けることになりました。
3 色麻町役場と話し合い、50名規模のボランティア宿泊対応をお願いできる   ことになりました。野外ステージ、小ホールもお貸し出しいただけること   になりました。
4 大阪よりの学生ボランティア第一陣100名を気仙沼大島で活躍するLOTs   富山代表につなぎ、大島で定期的な大きな活動にすることになりました。
5 N氏を富山代表につなぎ、これで生活支援協会、Lots 日本震災福祉   支援協会3者の絆の基盤ができました。
6 宮城県庁関係者にN氏をつなぎ、プロジェクトの推進に寄与しました。
7 日本財団より今後の活動資金2か月分の助成金を獲得しました。

 2011年05月23日 00:28 内藤 秀夫
今も変わらない風景 ビルの上のバスがまだあった・・・これは今後どうなるのか・・被災地の象徴ともなるのか・・・
被災地に早くから入ったかたの話に衝撃を受けた。
電柱を見上げると母が子を抱えたまま串刺しになっていたという。
傷は癒えない。あってはならないことが、あった。それを忘れちゃいけない。
宮城では今でも、どこに行っても被災の話でもちきりだ。仮設がどこに立った。なかなか申請はしても移れない。仕事がない 仕事があるだけ俺は幸せだ。なんでも、いくらでも、何かしていたほうがいい。
被災者の温度差も辛い現実をみせるようになってきた。大川小で子供を失った母親、失わなかった家族
亀裂が起き、もう同じ地域に暮らせないだろう、という。
仕事のある者、ないもの。仕事場の流された企業、残った企業。それぞれに亀裂が入りだしているという。
被災地から心も体も、いったん離れた方がよい。しかし、行き場がないと動かない、 動けない。行き場をつくることが、我々の務めだが自立も大切。傾聴の姿勢で被災者 の声に耳を傾けることで、本音が見えてくる。まさに介護の方法と重なっている。
9 2011年05月23日 18:38 内藤 秀夫
念願の、あの、念願の入浴車が来てくれました! しかも名古屋から遠路を・・・
ずっと願っていてできなかったこと。尾張の訪問入浴サービス「なみ と かぜ」さんに感謝です。
被災グループホームの職員さんも大喜び おおはしゃぎ!
グループホーム協会の協力により石川県からこられたヘルパーさん 旅サポのご協力で東京からこられたヘルパーさんと一緒にパチリ
 記念撮影しました。

2011年05月23日 20:37 smile again 仙台事務所の整備状況
仙台市宮城野区原町1―1―85コルディモビル201号
ほんとかよ、というくらいの市街の一等地です。
簡易机と椅子2,480
ホワイトボード1,290
ラジオと電源1,996
電源タップ1,196
USBメモリー1,500
のり98
封筒376
コピー用紙298
切手560
地図3,000
写真集2,000
ケーブル類3,170
とお金がかかりました。
極力節約はしたのですが、必要なものは必要です。
電気と電話の申し込みも行い、ファクシミリ兼用留守番電話やプリンターの設置も終わり、なんとか事務所の体裁に近づいてきました。
私自身も一日中駆けずりまくって、やっとどこで何が入手できるかという土地勘が身に付いてきました。
電話番号は明日決まる予定です。
数日でインターネット環境も整備できる見込みです。
福祉部門の復興支援の拠点として、みなさんにご利用いただけるよう、いっそうの整備と活用に努めていきます。

2011年05月23日 21:13 smile again あゆかわの郷の小笠原さん、菅原さんには準備作業でものすごくお世話になりました。

2011年05月24日 19:10 smile again 事務所のロケーション
仙台駅から仙石線一駅の躑躅が丘から徒歩七分ほど。仙台駅や県庁、市役所にはがんばれば歩けます。
県内NPO共同の支援センターやNPOプラザは至近です。また、さまざまな団体の事務所が近いです。七十七銀行の支店や郵便局も遠くありません。 最高の立地です。

2011年05月25日 13:35 smile again 電話開通遅延
調査の結果、ビルには通常の電話回線が来ていないため、光回線でのIP電話利用となりますが、 震災復旧と重なり、開通には時間を要する旨、NTT東日本から連絡がありました。

2011年05月25日 20:59 smile again 介護ボランティアさんを仙台駅までお送りしました。
活動の合間には温泉にも行っていただきましたし、帰りにはえごま卵もお買い求めいただきました。
ボランティア活動も合間に少しいいことがあってもバチは当たらないですよね。
活動では受け入れ側に喜んでいただけたのですから。

2011年05月25日 21:27 smile again 事務所の壁面に地図を貼りました。 とりあえず、宮城県、石巻市、仙台市。 地図を見るとものすごくやる気がでてくるものですね。 ボランティアさん回覧用の河北新報の震災写真集も有意義のようです。 色麻町がのどかですから、震災ボランティアに来た実感を持っていただきずらいのではと、あえて惨状をも改めてご覧いただいています。

2011年05月25日 22:25 smile again 最大コミュでもお願いしたのですが、とくに仙台市での活動をお手伝いいただける方がほしいです。助けてほしいです。 他の地域の方でも、色麻町にいっしょに泊まっていただければ活動可能です。 資格年齢性別国籍人種職業髪の色得意技喫煙嫌煙習癖不問です。 よろしくお願いします。

2011年05月26日 01:06 smile again 目の色も何色でも結構です。

2011年05月26日 18:03 smile again さっそくのご協力のお申し出 仙台事務所近くのデイサービスの相談員の方からさっそくのご協力のお申し出がありました。 今晩、事務所にいらっしゃいます。 頼もしく嬉しいですね。

2011年05月26日 18:38 smile again あゆかわの郷支援介護ボランティアさん予定 29〜30一名様 3〜6二名様 10〜13一名様 17〜19一名様 24〜26一名様

2011年05月26日 22:48 smile again 本音でお話しできたと思います。これが大事だと思いました。 今後、可能な課題で協力していけそうです。

2011年05月27日 08:15 smile again 本日、あゆかわの郷小笠原社長と畳石観光・福祉グループの三浦会長を訪問、今後の活動について協議を進めます。 お二方とも石巻市の福祉分野で有力な方で、理事として積極的に活動に取り組んでいただけるようですから、たいへん心強いことです。

2011年05月28日 04:27 smile again 話ははずんで、これからの協力を約したのだが、実は一部、何を話しているのか意味がわからなかった。そう、訛り(ToT)

2011年05月28日 09:21 内藤 秀夫 こちらは ポスターを協力者により数か所に張り、助成金を3個書き、資産家へのアポを1件、紹介を1件もらった。 はっきり、遅い。なにくそこれから活動だ! と意気込んだところ、被災地から相談に呼ばれた。それも2件・・・それも今後の運営に無視できない内容 被災地と首都圏、そして事業・・・体が二つにも三つにも割かれる気持ちがする。

2011年06月02日 17:59 内藤 秀夫 仙台からお見えの理事長と対話 完全合意に至りました。 日本震災福祉支援協会は、その初期の設立趣旨に基づき、 被災福祉施設の復興支援に全力投球します、ということです。 昨日は復興対策会議で廊下で電話されていた辻本議員に挨拶 意見書と名刺をお渡しし、挨拶してきました。議員もしっかりと 応じてくださり、顔を覚えていただけたと思います。 次は直接お会いしに行きたいと思います。 ロッツ 富山氏ともいい話ができました。 これからまた仙台へ 今回は新幹線で飛んでいきます。

2011年06月06日 19:26 内藤 秀夫 雄勝支所様から、入浴サービスのご依頼。要介護ではないが自衛隊の入浴施設まで自力で行けない方の支援を何とかできないか・・・とのことで、今回「波と風」様に入浴支援をお願いしました。 気仙沼でも入浴車を必要としているとのことで、引き続きサポートの可能な事業者様のご連絡をお待ちします。

2011年06月06日 19:59 内藤 秀夫 岩沼のグループホームを理事長と訪問させていただきました。 被災後元の場所に借金をして再建されていました。国からは社会福祉法人のように援助金はなく、他の助成金も適用されないとのこと、今後の運営に不安を感じておられました。 気丈にふるまっておられましたが、最近胃がおかしく診察したところ問題があり再検査になったとのこと、ストレスが健康を蝕んでいる。被災地に共通の問題だ。
 石巻復興協議会の伊藤代表も訴えておられたが、復興、復興といっても被災地には自分で立ち上がる経済力も精神力も無い方が多い。外部から支援に入って支えてもらわないとならない。 施設では夜勤をできず、また業務にならず、また車両がなく通勤ができず、退職をされる方があいついでいる。不明家族を探す為に遺体を毎日見たところ精神的に病んでしまったという。また、あるトンネル前では十数人の死者が出、そこを通る者はいなくなったという、そして、悲痛な思い出のある土地にもう、戻りたくない、という声もある。
 復興支援専門の動きをする者が必要だ。被災地の介護事業者は現状維持に精一杯だ。流されたり撤退した事業所の利用者も受け入れなければならない。地域のしがらみもある。市街へでるのに保険法の制約もある。コストの問題もある。家族の問題もある。 補償金が入ったので仕事に精を出す必要がなくなった。いまま必死で張りつめて活動してきた緊張の糸が切れた のかもしれない。 市で提供する日雇い仕事では満足できない という声もある。緊急対策費で出る日当5000円では専門職を雇えない という声もある。
  まちまちの支援だけでなく、生活圏全ての充足もみすえたコミュニティ、街の建設も必要とされている。 もはや、外部からの大きな支援、参加が必要だ。 支援を遠慮している場合ではない。

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